epiclylaterd ricky oyolaのパート3がアップされました。
すべての翻訳は難しいですが、面白い箇所を抜栓して書きますね。良かったら映像を見ながら読んでください。↓
-リッキーのEE3のパートについて”ストリートを激走して、人の家とかに乗り上がっていた “byジャック・サバック
-EASTERN EXPOSUREの時代はカルフォルニアではなく、東海岸がスケート界のリードしていた。他とは滑り方が違っていた、うちらのウィールは大きかったし、スポットからスポットに行くのではなく、目の前にあるものを全部滑っていた。byリッキー
-フィリーでは銃の発砲事件が多かったため、日々新しいバンプtoバーで出来ていた(車椅子ランプ)
-最近のスケーターはフィルマーを頼りにしている人が多い(スポット、トリックとかに関して)、リッキーはもう自分で行きたい場所やトリックが決まっていて良かった。あとは撮影する時にしがみつくだけだった。 byダン・ウルフ
-zoo yorkのあとeliがilluminatiを始めたが商標権の問題(名前が取られていた)で半年で終わった。
-当時nicotine wheelに乗っていて、その会社とfirst divisionという会社を始めた(brian anderson やdonny barleyなどがライダー)、デッキブランドもリッキー主導で始まり、aleister crowleyの本などを読んでいてilluminatiがthe order of the silver starと呼ばれたので、silverstarと名付けた。
-東海岸をサポートするため、スピットファイアーを辞めてnicotineに移った。
-東海岸にDLXみたいな大きな会社を作りたかった。
-SILVERSTARを再発する場所を探していたリッキーはダン・ウルフからGIANTでやらないかとオファーがあったがリッキー、kevin taylor, jack rupp以外はにクビというのが条件。もちろん、リッキーはダン・ウルフに怒って断った。
しかし結果、数年後にはmatt reason やsergeiなどは同じマインドではなく最終的にスケートボード自体から離れていってしまった。(ある意味GIANT側の方がライダーを見る目があったじゃないだろうか。!?)
しかし、もしGIANTを選んでいたら多分スケート人生は変わってただろう。(いろいろな意味で。)
-当時 zoo yorkに乗っていなければコンソリかplan b に乗りたかった。